推しが山登りを相方に手伝ってもらってる件について物申したいオタクの話
すっかり岩手の名物になった、観光列車SL銀河の話。
※この記事は個人の見解を多分に含んでおります。
各鉄道会社さんとは何ら関係のないファンの考察です。
この点をご留意の上、読んでいただければ幸いです。
岩手県のJR釜石線を走るSL銀河。
乗ったことがある人は知っていると思うが、
この列車が上り勾配を走る時は、
動力付き客車が機関車を押して山登りを手伝う。
鉄道用語ではこれを協調運転という。
機関車単機では釜石線(特に仙人峠区間)の走行が難しいので、
このような措置を取っているのだ。
だが、ここで多くの人は思うだろう。
「こいつ自分の力だけで走ってないんかい!SLさんもっと頑張れよ!!!」
「もはや客車が本体…キラキラでデザインもステキだし…」
「もしかして:SLさんがポンコツ」
(以上は私が調査前に抱いた感想であることをここに報告します。)
SL銀河の牽引機(以下C58239)は、
岩手県内に保存されていた機関車の中から選ばれ、
再び線路を走れるように修繕し(これを動態復元という)観光列車として復活した。
選ばれた理由は、保存状態が良く、搬出しやすい公園の広場に保存されていた等、
いくつかあるのだが、
元々SL銀河という列車自体が“東日本大震災からの復興”を名目に計画されたので、
復活する蒸気機関車も地元に所縁が深い車両を選ぶのが相応しい。
…という経緯が前提としてあった。
運行路線は釜石線で決まっていたので、牽引機も岩手の車両から選ぶべきだと。
岩手で過ごした年数が長く、かつ県内で保存中の蒸気機関車は3機あったのだが、
C58239(盛岡市保存)
C58103(一関市保存)
C58342(北上市保存)
…以上は全てC58形蒸気機関車という、同じ形式の機関車である。
どういうわけかC58しか居ない。
色々あって、岩手はC58ばっかり残っちゃったんだよね…
盛岡機関庫を出入りしてた蒸気機関車は、他にも沢山いたのに…
(この理由については、話が長くなるので今回は割愛)
なお、上記3機はいずれも戦前製のC58形で、性能は全員同レベル。
恐らく誰が復活しても今の状況になっただろうと筆者は考えているが、
239号機は車両センターがある盛岡市内に保存されていたので、
修繕後に保存場所に帰ってくることができた…という優位性はあるかもしれない。
身近に保存されていた機関車が居なくなったら、地元の人は寂しいと思うので。
ここからが本題。
C58形蒸気機関車は、急勾配を走るのがあまり得意ではない…というか、
釜石線は大型の貨物牽引用の蒸気機関車でないと峠越えができず、
そこに中型のC58形を走らせるには補助が必須なのだ。
釜石線の勾配区間として知られる仙人峠は、
戦前に線路を引くことが不可能だった区間であり、
戦後しばらくして、迂回路を作ってようやく線路が繋がったレベルの難所だ。
何故、性能が噛み合ってない機関車をわざわざ走らせるのか?
山登りが得意な別形式のSLに牽引させれば良いのでは?
しかし、かつて釜石線を走っていた大型の蒸気機関車たちはもういない。
岩手と強い結びつきを持った機関車は、もはやC58たちしか残ってなかった。
(C60が岩手に保存されていれば歴史は変わったかも知れない…)
話がマニアック過ぎてよくわからない人は、
電動自転車つければ体力がないアイドルでも坂道走れるじゃん!
…を、蒸気機関車でやったのだと考えてほしい。
つまり、C58239というご当地アイドルを釜石線で無理なく走らせる為に、
動力付き客車という補助装置を用意したのだ。
人間で言えば、電動自転車を使って坂道を登っているようなもの。
身の丈に合わないランニングコースを無理なく走りきれるように、
補助的な手段を使っている…と言えば伝わるだろうか。
蒸気機関車の動態復元、ひいては復帰後の運用については、
ニーズに合わせた機体を選ぶのが本来のやり方だと思うのだが、
(一応C6120はこのパターンだった。いずれ詳しく解説します)
SL銀河の場合は逆で、選定した機体に合わせて環境を整えるという、
普通に考えたらできなそうなやり方ができてしまった。稀有な例である。
鉄オタ目線の正直な意見としては、昨今の蒸気機関車の運行状況を鑑みるに、
選ばれたのがD51だったとしても補機はつけたんじゃないかと思う。
何より運転する乗務員の負担が減るので。
こうして、他に類を見ない「客車の気動車を補機にして協調運転」する観光列車SL銀河は爆誕したのだった。
…要するに「専用電動自転車」で坂道登ってる日本で唯一のSLさんって事です。
「客車の気動車の補機」とか、鉄オタでも理解が追いつかないワードだよ(笑)
これによりSL銀河の客車編成に選ばれたキハ141は(経歴も見た目も)屈指のカオス車両と化してしまったが、
この相方が居ないとC58239は仙人峠を越えられない。
SL銀河はキハ141とC58239を合わせてSL銀河です。
少なくとも筆者はそう思っている。推しはC58239だけど…
筆者は恥ずかしながら鉄道に興味を持ち始めたのがここ数年なので、
残念ながらSL銀河誕生の時分をリアルタイムで見届けていない。
…が、発表した当時は界隈は相当荒れたのではないか…?
何せ(恐らく)日本初の試みだったろうし。
蒸気機関車は復帰後数年は不具合が頻発したり、
整備がうまくいかないことも多いのだが、
何とSL銀河は開始以来、牽引機の故障による運休はゼロ。(2020年6月現在)
これは動力付き客車の補助がうまくいっていると考えて良いのではないか。
またC58239本体の状態も良好。
静態時代の保存状況の良さが深く関わっているとも言えそうだが…
少なくともC58239はポンコツではない。むしろ日本で1番元気なSLの可能性すらある。
とはいえ、蒸気機関車が定期運用で使われていた時代のC58形の評判は、
お世辞にも良いとは言えなかったのは事実。
本筋から脱線するので割愛するが、これもそのうちまとめを作って解説したい。
以下画像はSL銀河の協調運転のイメージ。
ディーゼルカーだから振動が結構すごい(笑)乗るとよく分かるよ。
SLさんもこのくらいには頑張っているので、応援してあげて下さい。
以上、推しがポンコツじゃないことを物申したいオタクの話でした。
文章が長いと感じた方には申し訳ないのですが、
これでもかなり削ってお伝えしてます(えぇ…
ここまで閲覧いただき、ありがとうございました。
2020年7月12日 すばるひよえ
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